週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
青山通り市電車庫「こどもの城」
青山通り。
JR渋谷駅から、宮益坂をゆっくり上がって青山方面に向かうと、にぎやかな商店街が次第にオフィスビル街に変わり、その先は落ち着いた文教地区になる。青山通りを挟んで、南側に青山学院大学のキャンパスがあり、北側には「こどもの城」と国連大学が並んでいる。
「こどもの城」は地上十三階、ミラーガラスに包まれた楕円形の特徴的なビルを中心に、青山劇場、青山円形劇場、アトリウム、大小のホールが約一万平方メートルの敷地に配置されている。昭和五十四年の国連児童年を記念して厚生省が建設を計画、昭和六十年に開場した。入口に岡本太郎制作の太陽の塔ばりの像があり、総合児童センターらしい明るい雰囲気を醸しだしている。
隣は、平成四年に完成した地上十四階建ての「UNハウス」ビル。国連大学本部が置かれた国連の日本センターで、最上階の壁に国連マークが浮きだしている。
この「こどもの城」と国連大学の並ぶ敷地は、かつての都電青山車庫だ。昭和四十三年までこの通りを都電が走っていた。少年時代を渋谷で送った作家の宮脇俊三は『昭和八年渋谷駅』に、当時の市電車庫をこう描写している。
<(絶好の遊び場の一つは)市電の青山車庫に付随した試運転場で、五百メートル四方ぐらいもの敷地を有していたが、単線の線路が一周り敷設されている他は、小さな池とそれを中心に生い茂った樹木ばかりの鬱蒼としたところであった。
池の縁にはたくさんの蛙がいて、子どもたちが近づくと、つぎつぎに池に飛びこんだ。樹間には他では見られぬ大きな黒い蝶が飛び交い、スズメバチの巣もあった。>
一時代前とくらべ、こどもの遊び場も遊び方もすっかり変わっている。
(掲載号:02月15日号)
