週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

江戸名所 太鼓橋 昔と今

 現在、大円寺の入り口前に「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」という五十センチ余りの像が祀られている。その台座には西運という僧が宝永元年(一七〇四)江戸市民からの浄財で川の両岸に石壁を築き橋を架けた旨が刻んであり、目黒区の文化財になっている。

 その橋は、今も行人坂を下りきったところの目黒川に架かる太鼓橋である。現橋は平成三年に完成したごく普通の鉄筋の橋だが、江戸時代の橋は目黒の名所的存在だった。

「柱を用ひず、両岸より石を畳み出して橋とす。故に横面よりこれを望めば、太鼓の胴に髣髴たり。故に世俗、しか号く。享保の末、木食上人これを制するとなり」

 『江戸名所図会』の記述で、同書には大勢の人々が行き交う挿絵も載っている。木食上人とは殻食を絶って修行する僧のことで、素性はよく分からない。西運の架橋から約三十年後のことであり、西運とは別人の可能性が高い。

 だが、幕府の調査によると太鼓橋は江戸八丁堀の商人たちの資金で六年の歳月をかけて明和六年(一七六九)に完成したと記録されている。とすると、西運が関係した橋は名前から見ても太鼓型ではなかったのだろう。

 いずれにしろ、アーチ型の太鼓橋は江戸でも珍しい存在だった。安藤広重も『名所江戸百景』の中に「目黒太鼓橋夕日の岡」の作品があり、現橋の欄干にそのレリーフがはめ込まれている。

 この名所太鼓橋は、惜しくも大正九年九月の豪雨で流されてしまった。昭和七年になって現橋の先代に当たる鉄筋の橋が架けられた。橋名は同じだったが、以来昔の姿は失われてしまった。

(掲載号:04月19日号)