週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
行人坂 夕日の岡 富士見茶屋
JR目黒駅がある品川区上大崎三丁目から目黒区下目黒一丁目へ下る行人坂は現在もかなりの急坂である。それがかえって、昔の坂上からの眺めが絶景だったことを偲ばせている。
『江戸名所図会』の行人坂の挿絵には「夕日岡 行人坂」というタイトルで、行人坂、五百羅漢、明王院、目黒川に架かる太鼓橋、さらには遠く江戸湾に浮かぶ白帆まで細かく描かれている。
では、夕日の岡はどの辺りかといえば、本文に「明王院の後の方、西に向へる岡をいへり」とある。さらに「古へは楓樹数株梢を交へ、晩秋の頃は紅葉夕日に映じ、奇観たりしとなり。されど今は楓樹少くたゞ名のみを存せり」と説明されている。
しかし嘉永年間(一八四八−五四)発行の切絵図には、明王院の後ろは細川越中守の下屋敷になっていて、夕日の岡の記入はない。『図会』の挿絵にも行人坂、明王院、五百羅漢の字は記されているが夕日の岡の字は見えないし、明王院の後方は特別高く描かれてもいない。夕日の岡は、まるで幻の岡のようである。
ただ常識的には行人坂上が夕日の岡ではなかろうか。同書の挿絵は「夕日岡 行人坂」に続いて「富士見茶屋」「太鼓橋」となる。「富士見茶屋」には「西南遥にひらけて芙蓉の白峯を望む。……実に佳景なり」との書き入れがあって「霧時雨ふじをミぬ日ぞおもしろき」という芭蕉の句が記されている。
居ながらにして富士山が望める茶屋は、かなり繁盛していたようである。杖をついて坂を上がってきたらしい人も描かれているし、客をここまで乗せてきたのか、空き駕籠の横で汗を拭っている駕籠かきもいる。
当然、この茶屋は、行人坂上の夕日の岡に建っていたものだろう。
(掲載号:04月26日号)
