週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
原宿は鎌倉街道の宿駅だった
江戸時代の風雅の僧、十方庵敬順が訪れた青山の松平左兵衛督の下屋敷は、現在の渋谷区神宮前二丁目あたりになる。ちょうど外苑西通りとキラー通りが交差し、お洒落なブティックや高級マンションが並んでいる。
十方庵の『遊歴雑記初編』(東洋文庫)には、<青山原宿西側竜岩寺の南>とある。「竜岩寺」は、臨済宗の古刹・龍厳寺(渋谷区神宮前二の三の八)のことで、江戸の切絵図「東都青山絵図」(嘉永六年、尾張屋板)を見ると、たしかに竜岩寺の南側に「松平左兵エ督」と書き込まれた屋敷地がある。
松平家の表門は、竜岩寺と同じように勢揃坂に面していたらしい。その昔、八幡太郎義家が後三年の役(十一世紀末の奥羽の戦乱)にここで軍勢を揃えて奥州に向かったという伝説のある坂で、この道そのものが鎌倉に通じる古道だったという。いま、松平家の屋敷跡の面影はまったく消えてしまったが、勢揃坂は竜岩寺と向かいの国学院高校の建物のあいだに残っている。
原宿という地名は、記録としては戦国期以後のものだが、もっと古い時代の街道の宿駅の名から出たとする説が有力のようである。
『遊歴雑記』によると、十方庵は竜岩寺の住職を通じて松平家の屋敷内拝見を願い出たが、屋敷の管理にあたっていた武家もなかなかの風流人だったと見えて、みずから邸内を案内してくれた。梅園や桃園があり、花の頃はさぞやと書いているから拝見の季節はもう初夏であろうか、十方庵が持参のたたみ昆炉で湯を沸かし、仲よく薄茶や煎茶を賞味しながら風光を楽しんだ。
邸内に馬場があり、その左右の松並木がいかにも春秋を重ねているように見えた。
「昔は街道だったそうです」。
案内の武家がそう説明してくれたという。
(掲載号:05月17日号)
