週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

幻の五輪 駒沢競技場の青写真

 昭和十五年(一九四〇)に東京で開催される予定だったオリンピック大会は、日中戦争の長期化によって止むなく開催返上に追い込まれた。このため"幻の東京オリンピック"と呼ばれている。

 日本が軍国化の色彩を強めるなかでの開催というので国際的にも危ぶむ声が出ていたが、東京市やスポーツ関係者の熱意が入れられて国際オリンピック委員会(IOC)が承認したものだった。

 東京市は当初、メーンスタジアムには神宮外苑競技場の大改造を考えていたが、内務省などには神宮周辺を聖域とする勢力があり、十分な協力を得ることができなかった。

 橋本一夫『幻の東京オリンピック』(NHKブックス)によると、
<そこで浮上したのが、神宮外苑競技場に代わって世田谷の駒沢ゴルフ場跡地(現駒沢オリンピック公園。戦後の第十八回オリンピック東京大会では、サッカー、ホッケー、バレーボールなどの会場になった)にメーンスタジアムを建設する案である>

 昭和十二年四月、東京市と国内組織委員は、駒沢に常設スタンド六万二千人、仮設スタンド四万八千人、合計十一万人を収容する世界最大級の競技場と、水泳競技場、選手村の建設を決定している。

 この観客の輸送計画も準備され、地下鉄(現・銀座線)を延長して都心から駒沢まで乗換なしの電車運転が検討されている。メーンスタジアムは同年十月に起工し、大会二ヶ月前の昭和十五年七月竣工の予定だった。

 しかし、日本はその年から日中戦争に突入し、戦争目的に必要がないと認定されたものは、贅沢と敵視されるようになった。競技場建設に必要な鉄材一千トンは貴重な軍需物資として供給の見通しを絶たれた。昭和十三年、中止が決定され、計画はすべて戦後に持ち越された。

(掲載号:08月09日号)