週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

東洋最初のユニオンステーション

 昭和十五年に東京で開催される予定だったオリンピック大会には、都心から伸びる地下鉄銀座線が観客をメインスタジアムの駒沢競技場に直通で運びこむ手筈だった。

 当時最先端の高速輸送機関である地下鉄が渋谷で玉川線(当時の玉川電車)に乗り入れ、都心と近郊を直結する。これが東急の創業者、五島慶太の描いた夢だった。

 それは単なる夢ではなく、実現は目前にあった。昭和十三年六月二十一日付けの毎日新聞夕刊には、「東洋最初集合駅の偉観」という見出しの渋谷駅大改造計画が大きく報じられている。

<オリムピック駒沢競技場の決定に伴ひ交通機関の関門となる渋谷駅の改造問題は本紙既報の如くすでに都市計画案としても改造が決定いよいよその一部から着工、今年十一月の高速度渋谷乗り入れ開通を機としその一部が完成、かくて東洋最初のユニオン・ステーション(集合駅)が実現されんとしてゐる>

 文中に「高速度渋谷乗り入れ」とあるのは、現在の地下鉄銀座線の新橋−渋谷間開通を指しており、急速に発展する新興渋谷の息づかいが聞こえるような記事である。

 長谷川徳之輔『東京の宅地形成史』(住まいの図書館出版局)は当時の新聞を丹念に読み直しながら、東京発展の問題点を鋭く衝いているが、ここには次のコメントがある。

<ターミナルという言葉はまだなく、ターミナル駅施設を東洋最初のユニオン・ステーション(集合駅)と表現しているのが目立つ>

 アメリカで、二つ以上の鉄道が共用する駅をユニオン・ステーションと呼んでいる。当時の渋谷には、省線(現・JR)、東横線、帝都線、玉電、市電(都電)などが集まったのだから、当然の呼び名だが、戦争の激化で直通運転の夢は消える。

(掲載号:09月06日号)