週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

ハチ公広場はIT時代のターミナル

 作家の中野重治が昭和35年に『日暮れて』という短編を発表している。作者はそこで自分の心理状態を次のように説明している。
<さしあたりどうするかで、年がら年じゆう、せかせかあくせくでそのまま走つて行つてしまう>

 「日暮れて道遠し」という文句があるが、作者の心理状態は「道は近いんだが、日が暮れかけちまつたんだ。どんどん暮れる」というあくせく感なのである。

 それは60歳を前にした初老の男の気持ちを巧みに表現すると同時に、当時の首都東京の急速に変貌する姿をも言い当てていた。このころ日本は高度成長期に突入し、東京は4年後に開催するオリンピック大会の準備に追われていた。その一環として進められた渋谷駅前ハチ公口の改修工事風景も出てくる。
<向う側が見えぬほどの砂ほこりがしやあつと吹きつけてきて私はガード下へ逃げた。/向う側が見えない。といつて、どこが向う側だかさえはつきりしない。ここはつまり、渋谷のターミナルつていうんか・・…どこをどう直すんだろう。こつち側にあつたいろんな食いもの屋にパチンコ屋、靴屋、本屋、たばこ屋、そんなものがどつかへ行つちまうのかと思つたら、こわして移したり、レールでそのまま運んだりで、全部反対がわへかためてしまつた。広場がひろくなつた>

 渋谷駅前の大改造風景のスナップである。

 東京オリンピックの昭和39年、渋谷駅に南口が開設され、東口に都電ターミナル(昭和44年の都電廃止でバスに切替え)、南口にバスターミナルという形態が整備された。

 いま、ハチ公広場(北口)は、壁面に超大型ビジョンを備えたビルに囲まれ、文字通りIT(情報技術)時代のターミナルである。

(掲載号:10月25日号)