週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

品川に劇場があった

 東京にかつて、歌舞伎座などの大劇場の他、歌舞伎を上演する芝居小屋が各所にあった。いわゆる小芝居で、役者も芸達者が多く、入場料も安いので気軽に楽しめる芝居として繁盛した。
 その中に、品川座という劇場があった。所在地は品川北馬場、現在の北品川2丁目で明治43年に開場した。
「初開場は7月で市川九団次を座頭に、市川寿美蔵(現寿海)、市川市十郎、実川延太郎(後の河原崎国太郎)、市川団右衛門、中村成次郎(後の勝五郎−辰之丞)、沢村伝次郎(後の訥子)の一座で・・・・」

 阿部優蔵著『東京の小芝居』(演劇出版社)の中の「品川座」の一節で、『義経千本桜』などが上演されている。役者の顔ぶれもなかなかのものでなかでも寿美蔵は二代目市川左団次の自由劇場にも参加した進歩的な人で、二枚目役者としてもならした。

 昭和24年、7・9代目団十郎の俳名寿海を襲名、主に関西歌舞伎を活躍の場とした。特に若々しくてさわやかな台詞回しは観客を魅了、後に芸術院会員や人間国宝にもなり、昭和46年、84歳の天寿を全うした。
 また、昭和44年、37歳の若さで亡くなった時代劇映画スター市川雷蔵は九団次の子供で、寿海の養子になった人である。

 品川座は大正に入って品川劇場と改称、同12年の関東大震災後に大物役者の沢村源之助が出演しているが、その後はだんだん影が薄くなっていったようである。

 「昭和9年の大東京地図(竜興社発行)を見ると、北品川2丁目に品川座が記載されてゐる。品川劇場から再び品川座に戻ったのだらうか、それとも地図の誤りだらうか。いづれにしてもこの頃まで存続してゐたのである」
『東京の小芝居』は、このように記している。

 いま、ハチ公広場(北口)は、壁面に超大型ビジョンを備えたビルに囲まれ、文字通りIT(情報技術)時代のターミナルである。

(掲載号:11月01日号)