週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

目黒の名物 さんま 粟餅

 江戸時代の川柳から一句。

 馬上から馬喰さんまの値をつける
 鯛、平目、鰹のような高級魚ではないから、馬喰が横着をして馬上から値切る。そんな光景らしい。江戸文学に通じた浜田義一郎の『江戸たべもの歳時記』(中央文庫)にこういう説明がある。

 <さんま、さんま、秋刀魚苦いかしょっぱいか。われわれは、秋といえば、すぐに佐藤春夫の詩を思い出すが、江戸の昔はそんな詩情は毛頭無く、ただ安いだけの低級魚であった。九十九里浜からでは生で運びにくいので、干物が多いらしい>

 そんな低級魚を、鷹狩りで疲れて空腹の殿様が賞味し「さんまは目黒に限る」と褒めあげるのが、落語『目黒のさんま』の落ちである。川柳や落語には格好の題材だったが、江戸時代の和歌、俳句には滅多に取り上げられなかった。

 しかし、安くて、栄養豊富で、美味いさんまが庶民の食卓に上り続けていたのは間違いない。明治時代、夏目漱石『吾輩は猫である』には、猫が台所のさんまを失敬する話が出てくる。漱石は講演でも『目黒のさんま』を話題にしているから、漱石先生の好物だったのかもしれない。

 目黒では、粟餅も名物だった。享保20年(1735)の地誌『続江戸砂子』には紹介されているそうだが、安永4年(1775)の有名な黄表紙『金々先生栄花夢』には「名物本あわ餅」という看板を出した店の絵が描かれ、物語の舞台になっている。

 目黒は都心かえあ2里(8キロ)足らずで、3代将軍家光が目黒不動尊を尊崇したことから絶好の日帰り行楽地になった。金々先生が昼寝の夢のなかで、栄華の果敢なさを知ったという不動尊前の粟餅屋「むさしや」も実在の店だったが、もはやその旧位置も定かでないとのことである。

(掲載号:11月15日号)