週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
慈覚大師 創建の 目黒不動
白、黒、青、赤、黄の5色不動のうちで最も有名なのは、目黒区下目黒3丁目に今も威容を誇っている目黒不動尊の泰叡山瀧泉寺だろう。『江戸名所図会』には「目黒不動堂」として「天台宗にして東叡山に属せり。開山は慈覚大師」とある。
東叡山は上野の寛永寺であり、慈覚大師は平安時代初期の僧で比叡山延暦寺の3世座主円仁のことである。『図会』によれば、円仁が出身地の下野(栃木県)から比叡山に向かう途中、投宿した目黒の地で不動明王の悪夢を見て不動像を彫刻、安置したのが目黒不動の始まりという。
「寛永元年(1624)、大将軍この地に狩し給ひ、同11年御再興ありしより、結構備はりたり」
同書の記述で、創建は江戸時代よりはるか以前のことらしいが、江戸郊外の名所として多くの参拝者が訪れるようになったのは、徳川3代将軍家光が再興して以来のことである。彼はこの付近で鷹狩りをした際、瀧泉寺で食事するのを例とした。
現在の仁王門や本堂などほとんどの建物は戦災から復興したものだが、起伏に富んだ広い境内は東京の名所の名に恥じない。
本堂前の石段下に建つ「前不動」は江戸時代中期のもので、都の有形文化財に指定されている。慈覚大師が寺の敷地を示すために仏具の独鈷を投げたところ、そこに泉が涌き、滝になったという独鈷の滝も、ちょろちょろ水ながら健在である。
昔の門前には料理屋が軒を並べていた他、名物の粟餅、飴、しん粉細工の餅花などを売る店も多かった。『図会』には、目黒飴の店の繁盛ぶりが挿絵になっている。現在の門前も各種の店が軒を連ね相応に繁盛しているようだが、残念ながら昔の名物は姿を消してしまった。
(掲載号:12月13日号)
