週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
水と緑の 山の手に ビール
江戸時代、一部の蘭学者は西暦で正月を祝った。それを“おらんだ正月”と呼び、酒席にはワイングラスも用意され、舶来ワインを飲んだらしい。それを、森銑三『おらんだ正月』はこう紹介する。
<寛政6年のことですが、その年の閏11月11日は太陽暦では1794年1月1日に当たるというので、その日 (大槻) 磐水は友人の蘭学者達を大勢家に招いて、陽暦の新年を祝って、その図を画家に描かせました>
磐水は 『解体新書』 の翻訳で有名な杉田玄白の弟子で、当時の第一人者。その著書で 「うゑいん」 (ワイン) だけでなく 「びーる」 (麦酒) にも言及している。ただし、ビールの方は本場の味がなかなかわからない。
たとえば享保9年 (1724) にオランダ商館長が江戸を訪問したとき、幕府の役人がビールを飲んだ感想が残っている。 <麦酒給見申候処、殊外悪敷物にて、何のあじわひも無御座候> と、もてあまし気味だが、これが本邦初のビール体験記録という。
しかし、幕末から明治初年になるとビールのさわやかなのどごしを覚えた人が急速に増えた。国産ビールを最初に手がけたのは蘭学者の川本幸民と伝えられているが、明治4、5年のころ米人コープランドが横浜で商品としてのビール醸造を始めている。おりから流行の牛鍋にも最適とあって、全国各地で中小の地ビールが誕生し、明治20年代にはその数30余に達した。
明治20年、日本麦酒醸造株式会社 (現・サッポロビール株式会社) が恵比寿の地を選んだのは、清冽な水流の三田用水が西側を流れ、地盤も強固で、ビールづくりに最適の場所だったからである。早くも明治23年には恵比寿ビールが発売される。これがいまの恵比寿ガーデンプレイスの地である。
(掲載号:01月20日号)
