週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

女性宣教師 女子小学校 と青山学院

 明治7年 (1874) 10月、米国メソジスト監督協会婦人伝道会社から派遣された23歳の宣教師ドーラ・E・スクーンメーカーが横浜の港に降り立った。

 ドーラを出迎えたのは、すでに2年前に来日して伝道と新しい教育施設の建設に努力しているジュリアス・ソーパー夫妻であった。ドーラの仕事は、ソーパーと協力して日本に女子学校を開設することだった。

 東京に着いたドーラは早速開設準備を始め、ソーパーに紹介された日本人クリスチャンの津田仙に会った。津田は、佐倉藩 (千葉県佐倉市) 出身の蘭学者で、慶応3年には福沢諭吉らと幕府随員として渡米、さらに明治6年にはウィーン万国博に佐野常民 (日本赤十字社の創設者) らと参加している西洋事情通だった。

 津田が教室に使えそうな屋敷として斡旋したのは、麻布新堀町 (現・港区南麻布2丁目) の岡田兵蔵邸だった。ドーラ嬢は武家屋敷の一室を教室にして、明治7年11月6日 「女子小学校」 を開校した。寺子屋ならともかく女子教育となると敬遠されたから、先生の前に座った女子生徒は僅か5人、それに津田の息子2人が加わった。津田の娘、梅子 (津田塾大学の創設者) は初の女子留学生としてアメリカにいた。

 この 「女子小学校」 と、ソーパーが苦労して開校した築地の 「東京英学校」 、横浜に開設された 「美会神学校」 のメジスト系3校の合同が図られ、明治15年秋、東京・青山に新校地が選定され、翌年9月 「東京英和学校」 が誕生した。いうまでもなく、今日の青山学院である。

 選ばれたのは、北海道開拓使が研究用に所有していた官園の跡地で、面積は約3万坪総額6千円 (米ドルで約5千ドル) というから、1坪約20銭である。

(掲載号:02月24日号)