週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

ゆるぎ 変じて いるぎ

 品川区大崎地区にあった昔の村名や神社名にもなった居木橋は、今も山手通りの大崎1丁目と北品川5丁目の間を流れる目黒川に架かっている。北品川側は御殿山の坂の上り口がすぐ近くで、坂上の公園の掲示板に橋名の由来が記されている。

 それによると、山手通り・環状6号線は、室町時代から品川と多摩方面を結ぶ主要街道だった。居木橋は品川宿から約1キロほどの距離で、川辺に風が吹くとゆらゆら揺れる1本の松が生えていた。多摩の方からの旅人は、この松が見えると「品川宿はもうすぐだ」と元気付いたという。

 旅人たちは松を 「ゆるぎの松」 と呼んでいたが、それがいつの間にか 「いるぎの松」 になり、橋を居木橋、近くの村を居木村と称するようになった。松は安政年間 (1854〜59) の暴風雨で倒れ、枯れてしまったが、その場所は現在の橋より1つ上流に架かる森永橋付近だったと伝えられる。

 居木村一帯は、海が近く気候が温暖のため江戸時代以前から農業地帯だった。そこに江戸時代初期、東海寺の開山沢庵和尚が上方からカボチャの種を取り寄せ、名主の松原庄左衛門に栽培させた。 「居留木橋カボチャ」 の始まりで明治中期まで居木の特産品だったという。

 実際の橋名には 「留」 の字が入っていないが、特産品を 「いるぎ」 と正しく読ませるための手段だったのかもしれない。表面に15本ほどの溝と、ごつごつしたコブがあって別名を縮緬カボチャといわれ、中身は黄色で大変美味だったという。後世の品種改良の種にもなった。

 また居木神社を含む大崎2、3丁目、西品川3丁目の地域は居木橋遺跡と呼ばれ、貝塚を始め住居跡や土器など縄文時代の遺跡が発掘されている。

(掲載号:03月09日号)