週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

百反坂 三ツ木 貴船神社

 JR大崎駅西口を出て線路沿いの道を品川方向へしばらく行くと、右手に西方へ延びるゆるやかな坂道がある。百反坂で、上りきって戸越方面へ通じている道路を百反通りという。昔、坂が階段状になっていて「百段坂」と呼ばれていたのが、いつしか「百反」になったといわれている。

 この通りの南、西品川3丁目に鎮座しているのが貴船神社である。この辺りは旧名を「三(ツ)木」といい、品川宿の枝郷、つまり品川宿に属する村だった。今、神社に隣接する小学校や、境内末社のお稲荷さんにその名が残っている。

 貴船神社の歴史は古く、奈良時代になる直前に創建されたお宮で、初めは貴布禰大名神といったと伝えられている。実は、この創建伝説が南品川の総鎮守荏原神社のそれとそっくりで、貴船神社は荏原神社の旧地ではないかとする説が有力である。

 荏原神社も旧名は貴布禰大名神といい、『江戸名所図会』には「貴船明神社」と記されている。同書は創建の由来には触れていないが、東京都神社庁発行の『東京都神社名鑑』の「荏原神社」の頃には、次のような由緒が載っている。「創建は元明天皇の和銅2年(709)9月9日藤原伊勢人勧請により、武蔵国荏原郡品川郷(元枝郷三ツ木)に鎮座した。貴布禰大明神と号し、品川総鎮守だったが、後、現在地に遷った」

 同書の貴船神社の項には、移転の記載がないだけで、勧請の年月日、人物、地いずれも荏原神社と同じことが書かれている。

 ということは、荏原神社は元々現在の貴船神社の地に創建され、後に現在地に移った。そのとき、旧社地に改めて貴船神社が創建されたとするのが妥当だろう。いずれにしろ歴史の古いお宮であることは確かである。

(掲載号:03月30日号)