週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

堀田坂から聖心女子大和洋の融合

 地下鉄日比谷線広尾駅の西方に広がる台地上に日赤医療センター・日本赤十字看護大学と聖心女子大学が並んでいる。

 このあたり幕末の切絵図を見ると、堀田備中守の下屋敷になっている。堀田家は佐倉藩(千葉県)の藩主で、幕末に老中として米国使節ハリスと折衝に当たった開明派のリーダー堀田正睦などを出した譜代の名門である。外苑西通りのバス停日赤病院下から日赤医療センターに上る坂に今も堀田坂の名が残っている。堀田家下屋敷に向かう坂だったからである。

 この下屋敷は明治に入って上納され、皇室御料地となった。旧町名の宮代町の名も皇室の関係地ということで生まれた。その御料地の一部が日赤活動のために提供されたわけである。また、聖心女子大学の地には元皇族の久邇宮家の邸地があった。

 聖心女子大学は美智子皇后の出身校としても知られるカトリック系の名門だが、正面入口には荘重な和風の門が立っている。むろん久邇宮邸時代の表門である。この装門から二百メートルほどすばらしい桜並木が続いて大学校舎前に出るが、その一画にも大正十三年に竣工した旧久邇宮邸常御殿が大切に保存されている。和洋の建築様式を巧みに融合した森山松之助設計の作品で、念入りに修復したうえ現在も茶道・華道などのクラブ活動に利用されている。

 聖心女子学院は明治四十一年に創立されたが、女子大学が創設されたのは昭和二十三年のことである。久邇宮邸地は戦後国有化、民有化と変化したが大学に最適の校地として関係者が努力した結果という。太平洋戦争中にかろうじて焼け残った旧久邇宮邸の玄関と車寄せが、真新しい洋風建築の校舎のゲート部分を威風堂々の姿で飾っているのは興味深い。

(掲載号:04月06日号)