週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

悲劇を 秘めた かむろ坂

 塩かけ地蔵の安楽寺、懸泉の氷川神社前の道を西へ行くと、間もなく東急目蒲線の不動前駅の商店街に出る。そこを突き抜けると、広い通りが南北に走っている。西五反田を東西に貫く山手通りから分かれて、南方の小山台方面に通じている道路である。

 道路は南へ向かってゆるやかな上り坂になっていて、坂は「かむろ坂」、道路全体は「かむろ坂通り」と呼ばれている。「かむろ」は漢字で書けば「禿」で、その名は安楽寺にある連理塚の権八・小紫にゆかりがある。

 前に紹介したように、歌舞伎の2枚目役白井権八、実説では悪党の平井権八が鈴ヶ森で処刑されると、恋人の小紫は彼が密かに埋葬された目黒の寺の墓前で自害した。2世を契った権八の跡を追ったわけである。小紫は新吉原三浦屋の遊女で、その中でも最高位の花魁だったが、遊里には珍しい純情な女性だったといえるだろう。

 花魁には、身の回りの世話を焼く女性が何人か付いていた。禿もその役で、7、8歳から12、3歳くらいまでの少女が務めた。今なら児童福祉法違反もいいところだが、遊女の見習い役でもあった。

 小紫が権八の処刑を知って三浦屋を出た後、それと気付いた三浦屋の主人は小紫付きの禿にその行方を探させた。彼女は心当たりを訪ね、訪ねてとうとう小紫の自害を知った。悲報を主人に報告しようと急ぐ帰り道、彼女は暴漢に襲われ、かむろ坂付近にあった池に飛び込んで哀れにも死んでしまった。

 以来、坂を禿坂、一帯の丘陵を禿山と呼ぶようになったといわれる。

 権八・小紫のカップルについては安楽寺の連理塚の他、かむろ坂からほど近い目黒不動の瀧泉寺門前にも供養の塚があり、こちらは比翼塚と呼ばれている。

(掲載号:06月15日号)