週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

隠語の 石碑建つ 行元寺

 悲運の禿に由来するという東急目蒲線不動前駅西のかむろ坂中程の西側に行元寺という寺がある。歩道からやや上がった敷地に建つ、しもたや風の建物の寺なので、うっかりすると寺とは気付かないかもしれない。

 しかし、室町時代創建の歴史のある天台宗の寺で、元は牛込肴町、現在の新宿区神楽坂にあった。現在地には、明治四十年に移ってきた。

 門前の境内の片隅に、表面に「念彼観音力」などと彫られた石碑が建っている。問題はその背面で「発卯天明陽月八 二人不戴九人誰 同有下田十一口 湛乎水無納無絲」の文字が刻まれている。年号を記した最初の部分はともかく、一見意味不明の漢字が並んでいるように見える。

 実は、これは江戸分化爛熟期の狂歌師、戯作者として名の高い大田南畝(蜀山人)の撰による隠語の碑文なのである。発卯天明は天明3年(1783)で、陽月は陰暦十月の異名、その八日に下総の百姓富吉が牛込神楽坂で不倶戴天の父の仇・宮条甚内を討ち取ったことを意味している。

 例えば、「二人」は「天」を分解したもので、「九人」は同様に「仇」。次の七字は富吉、最後は甚内の意味になる。「同」の下に「田」で「冨」=「富」、「十一口」は「吉」を分解したもの。「湛」の字から水、つまりシを、「納」から「糸」を無くして甚内というわけである。

 幕府をはばかってこうしたもので、仇討ちの助太刀が友人の南畝に撰文を頼んだと伝えられている。碑は分化12年(1815)に建てられた。

 同じ境内に「大震災横死者供養塔」の石碑もある。関東大震災後の大正14年に建てられたもので、碑文は昭和45年に亡くなった芸術院会員の書家豊道春海氏の筆で、同氏は行元寺の先々代住職だった人である。

(掲載号:06月22日号)