週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
ビルに 納まる 雉子宮
JR山手線五反田駅から桜田通りを高輪方面へ進む。道はゆるやかな上り坂で、「相生坂」と呼ばれている。その東側歩道沿い、陸橋の先にビルの中にすっぽり入っている神社がある。
よく観察してみると、10回建てのオフィスビルの2階部分が空洞のようになっていてそこに木造の社殿が鎮座している。雉子神社で、平成6年境内にビルが建設されてこうなった。まだ真新しい感じのする建物とは反対に、江戸時代以前からここに祀られている歴史の古いお宮である。
創建年代は不明だが、元は荏原宮、戦国時代の文明年間(1469−87)から大鳥明神と呼ばれた。大鳥の名は主祭神の日本武尊が没後白鳥となって飛び去ったという伝説に基づくものらしい。
江戸時代になって、徳川三代将軍家光がこの辺りで鷹狩りをしたとき、1羽の白い雉子がこの神社の森に飛び込んだ。雉子を追ってきた家光が神社の名前を尋ねると大鳥明神ということだったので、それを奇瑞として社号を「雉子宮」と改めさせたという。
幕末の切絵図「品川・白金・目黒辺之絵図」に、松平陸奥守(仙台藩)下屋敷に隣接して雉子宮が記されている。明治維新後は雉子神社と改められたが、雉子宮は今も通称として使われている。
池波正太郎著の『仕掛人・藤枝梅安』の主人公は、この雉子宮の鳥居前の小川を隔てた南側で、ちょっと風雅なわら屋根の小さな家に住んでいるという設定で、こんもりとした木立に囲まれてもいる。家光の鷹狩りと共に、神社がビルに取り込まれてしまった今からは想像もつかない、ひなびた風景である。
ただ、ビルの前に今も繁っている推定樹齢150−200年のイチョウの大木だけは、そんな昔の風景を知っていることだろう。
(掲載号:07月13日号)
