週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

宝塔寺 元三大師 大漁成就

 ビルの中のお宮・雉子神社を出て陸橋下に下り、十字路を南東方向に進むと、すぐ宝塔寺の門前に出る。宝塔寺は天台宗の寺で、白雉山慈光院の山号が示すように、元は雉子神社の別当だった。

 創建は室町時代の応永八年(1401)と伝えられている。初めは法東寺と称して品川の海岸近くにあったが、その後目黒川沿岸に移って宝塔寺と改めた。さらに江戸時代初期の万治年間(1658−61)に目黒川の水害を避けて現在地に移転した。

 境内に入ると、正面には本堂が重厚な構えを見せている。左手にはこぢんまりしたお堂があり、前に寛政2年(1790)の年号が刻まれている「雉子宮 元三大師」の石柱が建っていて、雉子神社との関係の深さを示している。

 元三大師とは天台宗の中興の祖といわれる第18代座主慈恵大師・良源(912−85)のことで、正月3日に亡くなったので、そう呼ばれるようになった。生存中に大僧正となったほどの名僧で、没後は信仰の対象となり、各地で画像や木像が盛んに作られお堂などに祀られた。

 宝塔寺の大師堂にも、元三大師にゆかりの深い比叡山横川にあったという画像などが祀られている。元々は品川海岸にあった寺の大師らしく、お参りしてから漁に出ると大漁になると伝えられ、漁民の信仰を集めた。

 境内右手には、江戸時代の庚申塔が二基ある。寛文8年(1668)と同12年に旧大崎村の人たちが建てたもので、元は雉子神社境内にあったが、明治以後現在地に移された。

 寺には「宝塔寺板木」と称する板木も所蔵されている。お札などを印刷するための木版で、一番から百番そろっているおみくじの板木や、富くじ興行のものなど26枚が残っている。

(掲載号:07月20日号)