週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

女性の洋装 を促した 白木屋火事

 女性に洋装が普及するきっかけになったのが関東大震災(1923)と日本橋・白木屋の火事(1932)だといわれる。

 昭和7年12月17日の読売新聞に次の記事がある。
  <北西の寒風肌を刺す16日午前9時13分帝都5大百貨店の一つ日本橋区通り1−9白木屋呉服店の近代建築美を誇る4階の中央部玩具売り場附近から発火、火は忽ち飾り立てたクリスマス・ツリーからセルロイド製品に燃え移ると共に火勢を増して…>

 ちょうど歳末売出し中のことで、逃げ場を失った客や店員が屋上や各階の窓から救いを求める混乱状態が続いた。同紙によると、<勇敢な消防手は自動車梯子を利用して猛火の中に躍り込んで救命袋救命ロープ緩降器を各窓に結びつけて刻刻に救ひ出すのを地上では救助網を持って飛び降りに備へるなど必死の活動を続けた>が、多数の死者、重軽傷者を出した。

 とくに話題になったのが和服の女性店員で、地上の目を気にして和服の裾を押さえ思わず救命ロープから手を離して落下する惨事が目立ったという。

 鹿鳴館の洋装が社会的に注目されたものの、明治時代には女性服の仕立て師は女唐服屋と呼ばれたほど特別の存在だった。男性の洋装はサラリーマンの増加とともに急速に進んだが、女性の方は全般に遅れていた。こうした災害が教訓になって、女性が活動的な洋服を身につけるようになったというのが近代日本の服装史のようである。

 渋谷区広尾2−5−11にある東北寺は、江戸時代初期に遡る白木屋の創業者・大村彦太郎との縁が深く、寺域の一画に百十数基に及ぶ白木屋店員の集合墓地がある。昭和7年の火災の際の殉職者の墓には男性5人、女性8人の名が刻まれている。

(掲載号:07月27日号)