週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
洋服部を つくった 白木屋
明治20年に発表された二葉亭四迷の小説『浮雲』は日本の近代小説のスタートを記念する作品であると同時に、文体のうえでも言文一致の先駆けだった。
その冒頭で、当時羽振りの良かった政府の役人たちのファッションが皮肉まじりに綿密に描写されている。まず流行の髭のさまざまが「口髭、頬髭、顎の髭、暴に興起した拿破崙髭に狆の口めいた比斯馬克髭」などと挙げられ、次にその服装が出てくる。
<髭に続いて差ひのあるのは服飾、白木屋仕込みの黒物づくめには仏蘭西皮の靴の配偶はありうち、之を召す方様の鼻毛は延びて蜻蛉をも釣るべしといふ>
「ありうち」とは、世間でよくあるという意味。一足の靴を「靴の配偶」というのも開化期の表現だろうか。そして、日本橋の白木屋で誂えた服を着込んだ役人たちの得意満面ぶりがよくわかる。
江戸時代の寛文2年(1662)創業という白木屋がいち早く洋服部を開設したのは明治19年だった。夏目漱石の『吾輩は猫である』のなかにも、白木屋で洋服を仕立てる話が出てくる。老舗の白木屋は、昭和31年に東急電鉄の経営に移り、東急百貨店日本橋店として親しまれていたが、平成11年1月、惜しまれながら閉店した。
白木屋の創業者、大村彦太郎は長浜(滋賀県)の出身。京都に出て材木商として成功した。素木が店名の由来といわれる。さらに江戸に進出して白木屋呉服店の基礎をつくった。江戸初期の有名な禅僧至道無難は従兄弟にあたるため、その感化を受け、大村家はその後も無難の草創になる東京・渋谷の東北寺(渋谷区広尾2−5)の有力な檀家になっている。
東北寺には、赤穂浪士に討たれた吉良上野介の未亡人の墓も残っている。
(掲載号:08月03日号)
