週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

最後の 戯作者 鶯亭金升

 『明治のおもかげ』は、最後の戯作者といわれた鶯亭金升本名長井総太郎の最晩年の著書である。昭和28年山王書房から出版されたもので、著者は翌年86歳の天寿を全うしている。

 汁粉屋のはしごを日課にしていつも給料の前借りをしていた若い印刷工の話など、明治の珍談奇談が軽妙な文章で綴られている。この本が、このほど岩波文庫で復刻された。

 金升は日本の漫画雑誌の元祖『団々珍聞』の記者を皮切りに『改進』『万朝報』『読売』『都』『毎日』などの新聞記者を歴任。この間に戯文、落語、情歌ともいう都々逸、狂歌、川柳、小唄、民謡などを多作した異色の人である。

「余は明治元年3月16日、下総国八木ヶ谷村に生まる。故に総太郎と称す、実名昌安。父は長井五右衛門昌言と称し、筑前守に任じ、従五位に叙す、幕下の人なり」

 昭和36年、演劇出版社から出版された『鶯亭金升日記』冒頭の記述である。厳密には、生年はまだ改元前の慶応4年のことだが、彼は明治の申し子のような人だった。

 しかも日記にあるように、父は長崎奉行も務めたれっきとした幕府の旗本である。その父昌言はペリーの黒船来航時の浦賀奉行戸田伊豆守氏栄の三男で、長井家の養子になった。金升の生地八木ヶ谷村(現船橋市)は長井家の知行所で、維新の動乱を避けて母ふさはそこに疎開していた。

 こんなお堅い家に生まれながら彼は10代の頃から川柳などを作るようになり、16歳のとき江戸の戯作者の生き残りで『団々珍聞』主筆の梅亭金鳶に入門、当時、鶯の名所根岸に住んでいたので鶯亭金升と名乗った。

 金升の墓所はビルの中の雉子神社前の中原街道を高輪方面に向かうと右側にある本立寺で、戒名を情歌院鶯亭日経居士という。

(掲載号:08月10日号)