週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
南郭坂に江戸漢詩の余韻
『江戸名所図会』の挿絵には江戸の有名詩人、俳人の詩句の書入れがあって、雰囲気を盛り上げている。深川五本松では<川上とこの川下や月の友>(芭蕉)、日本橋人形町の大門通では<鐘ひとつうれぬ日もなし江戸の春>(其角)といった塩梅である。
むろん文中にも和歌、俳句、漢詩など多彩な引用が見られるが、『江戸名所図会事典』(ちくま学芸文庫)によると、漢詩では服部南郭の作品が最も多いそうである。南郭は江戸漢詩壇でのヒットメーカーで、とりわけ「夜下墨水(夜隅田川を下る)」の七言絶句は当時の文化人に愛誦され、『江戸名所図会』のなかの「大川橋(吾妻橋)」の挿絵にそのまま引用されている。
夜 墨水を下る
金龍 山畔 江月浮かぶ
江揺らぎ 月湧いて 金龍流る
扁舟住まらず 天 水の如し
両岸の秋風 二州を下る
(岩波版『江戸詩人選集』の読み下し文による)
『唐詩選』には杜甫の「月湧いて大江流る」の句があるという。長江の川面に映る月が波のうねりとともに湧きあがるように見えるという雄大な詩魂である。金龍山(待乳山の異称)のほとりの隅田川を黄金の龍にたとえて、杜甫と同じ気分で武蔵と下総の二州の間を下るわけである。
南郭は京都の富商に生まれたが、江戸で萩生徂徠に学び柳沢吉保に登用された。吉保の死没後は家塾で教えながら文人生活を送ったという。晩年の宝暦七年(一七五七)西郊の羽沢(渋谷区東二丁目)に別宅を設け、白賁墅と名づけた。粗末な白茅葺きを、白で賁ると表現している。
南郭の詩文には、近くの赤羽川が「赤水」とあり、生まれ故郷の京都が「長安」になぞらえられる。南郭邸跡から西へ明治通りへ下る坂に南郭坂(別名富士見坂)の名が残っている。
(掲載号:09月14日号)
