週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
島津山 コンドル 清泉女子大
東五反田の雉子神社や宝塔寺の東方の小高い丘陵部分の周辺はマンションをまじえた住宅地で、中心部には清泉女子大学のキャンパスが広がっている。島津山と呼ばれている地域で、その名称はマンション名などにも使われている。
一帯は、寛保三年(一七四三)奥州仙台藩伊達家が下屋敷を構えた所である。幕末の切絵図には、雉子神社や宝塔寺に隣接する広い五角形の区画に「松平陸奥守(伊達家)下屋敷」と記されている。
明治六年、屋敷はそっくり旧鹿児島藩主の島津公爵の邸宅となった。邸内にはツツジが植えられて、それが旧地名にちなんで「袖崎ツツジ」といわれるほどの名物となり、鹿児島出身の軍人や政財界人が集まるパーティが華やかに開かれたり、明治・大正天皇がお出でになったこともあったという。
島津山の成り立ちで、建物が老朽化した明治末年には英国風洋館への改築計画から工部大学校造家学科(現東大建築学科)教授の英国人J・コンドルに設計を委託した。度重なる設計変更から建物の完成までに九年、さらに内部の設備や調度に二年の歳月をかけ大正六年にようやく落成した。
ところが、昭和初期の金融恐慌で島津家の財政も打撃を受け、敷地の三分の二を売却した。さらに戦後、空襲の被害は免れたものの邸宅の維持が困難となって、土地と建物の所有権は日本銀行に移り、それを昭和三十七年清泉女子大が購入して横須賀からキャンパスを移した。
女子大となってからも、白色タイル使用の壁面や精緻な石造技術を駆使した二階建ての邸宅は、ステンドグラスやマントルピースの内装もそのままに大学本館として機能している。東京都選定歴史的建造物にも指定されており、ツツジと共に明治、大正の面影を伝えている。
(掲載号:10月05日号)
