週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

塙保己一の偉業伝える温故学会

 昭和十二年四月、横浜港に着いたヘレン・ケラー女史が日本で最初に訪問したのが東京・渋谷の温故学会(渋谷区東二の九の一)だった。

 盲・聾・唖の三重苦を克服して身体障害者の福祉事業に専念したケラーさんが敬愛していたのが、日本の塙保己一だった。その保己一が江戸時代後期に精魂傾けて完成した『群書類從』六百六十五冊の版木をそっくり保存しているのが温故学会である。ケラーさんが版木や保己一の像を自らの手で確かめながら、念願の“対面”をしている写真が同学会に残っている。

 保己一は延享三年(一七四六)五月五日、武蔵国の保木野村(現・埼玉県児玉町)の由緒ある農家の長男に生まれた。七歳のとき、病気で失明したが、一度読み聞かされた書物の内容をすべて覚えてしまうという抜群の記憶力を持ち、十五歳の夏、父の許しを得て江戸へ出て、学問で身を立てようと考えた。

 保己一には謙虚な人柄と無類の記憶力があったが、盲人が社会的に能力を認められるのは容易なことではなく、十六歳のとき九段の牛が淵に身投げしようとしたともいう。しかし、師の雨富検校の理解があって次第に学問で頭角を現し、老中松平定信など幕閣、諸大名や有識者のあいだに多くの後援者を得た。

 寛政五年(一七九三)、番町(千代田区)に日本の古典を研究教育する和学講談所を開設する。同時に、古典の散逸を防ぐため文献の蒐集と校訂に努め『群書類從』としてつぎつぎに出版した。この施設が現在の東京大学史料編纂所の源流になっている。

 その版木は実に一万七千二百四十四枚(重要文化財)。子孫や門人たちの努力で維新や震災のなかを無事くぐり抜け、昭和二年現在地に建設されたコンクリート造の温故学会に収められた。

(掲載号:10月12日号)