週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
池田山 岡山藩 下屋敷
英国人J・コンドル設計の旧島津公爵邸の建物を本館とする清泉女子大がある島津山とは東五反田を南北に貫く桜田通り(中原街道)を挟んで反対方向、六百メートルほど西方には品川区立の池田山公園が静かなたたずまいを見せている。
桜田通りから入ると、広大なNTT関東病院(旧関東逓信病院)前の道を北へ進み、病院の敷地に沿って西へ曲がれば坂の途中に公園の入り口がある。毎日、午前九時から午後五時まで開放されている。
この辺りの高台は寛文十年(一六七〇)備前岡山藩主池田家が「大崎屋敷」といわれた下屋敷を構えた所で、いつしか池田山と呼ばれるようになった。島津山は仙台藩伊達家の下屋敷が明治になって旧鹿児島藩主の島津公爵邸になったところから付いた、つまり明治になってからの通称に対し、池田山は江戸時代からの呼び名だった。
石高は伊達家の六十二万石に比べ、池田家はその半分。幕末の切絵図には、宝塔寺を挟んで「松平(伊達)陸奥守下屋敷」と「松平(池田)内蔵頭下屋敷」が仲良く描かれているが、伊達家は屋敷の全体が描かれているのに比べ池田家は一部だけである。
それなのに、伊達家の屋敷があった丘が「伊達山」とか「仙台山」と呼ばれた形跡はない。石高も少なく、恐らく下屋敷の敷地も狭かったに違いない池田家のほうが、なぜか地名の通称になった。
もっとも、池田家も並の大名ではなく大藩といってよい。明治維新以後も池田山は池田公爵邸として使われていたが、大正の末頃から大部分は高級住宅地として開発、分譲されていった。現在の公園は屋敷の奥庭部分といわれ、東京電力社長邸、荏原青果社長邸を経て品川区が購入、昭和六十年に開園した。池や滝は昔のままで、起伏に富んだ緑豊かな公園である。
(掲載号:10月19日号)
