週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
上大崎 増上寺 子院群
岡山藩主池田家の下屋敷跡の品川区立池田山公園北方、上大崎一丁目の台地上には九つもの寺が集中している。このうち八か寺は増上寺の子院で「芝増上寺子院群」と呼ばれている。
三縁山増上寺は、いうまでもなく港区芝公園にあるというより、芝公園全体が元々同寺の境内だった名刹である。家康が江戸入り以来同寺の源誉上人に深く帰依し、麹町貝塚(現在の赤坂辺り)から現在地に移して浄土宗の関東の大本山とした。
上野の東叡山寛永寺と並ぶ徳川将軍家の菩提寺でもあり二代秀忠ら六人の将軍の霊廟がある。当然歴代将軍の参詣も行われ、寛永寺と共に大きな権威を持ち、子院の数も寛永寺の三十六坊に匹敵するほどだった。
上大崎の子院群は初め芝にあったが、江戸市街の大改造のきっかけにもなった明暦三年(一六五七)の明暦の大火(振袖火事)後、現在の麻布狸穴に移された。その後さらに狸穴の地が三代将軍家光の二男で時の将軍四代家綱の弟、後の甲府宰相綱重の屋敷地になるため、子院はそれぞれ現在地に移転させられた。寛文元年(一六六一)のことで、当時はこの子院群を「増上寺下屋敷」といった。
移転した寺は戒法寺、本願寺、最上寺、光取寺、清岸寺、正福寺、善長寺、了福寺の八か寺だった。しかし、明治の後年、正福寺はここに移ってきた常光寺と合併して常光寺に、善長寺も同じように隆崇院と合併して隆崇院となった。さらに了福寺は江戸時代後期に廃寺となったが、明治二十四年その跡に、増上寺の子院ではない宝蔵寺が芝高輪から移ってきた。
これで、増上寺の子院群は七か寺になったが、昭和六年増上寺山内にあった子院の月窓院が移転してきて現在に至っている。
(掲載号:11月02日号)
