週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
皿の盤と石の磐と「常磐松」小史
作家の志賀直哉は、晩年を渋谷区東一丁目の家で過した。東の町名は、JR渋谷駅の東にあたる地域ということで、それまでの田毎町、氷川町、若木町、八幡通、常磐松町、中通、恵比寿東、永住町、上智町、緑岡町、下通の一部がまとめられて、昭和四十一年に成立している。
このあたりは歴史の古い金王八幡宮、渋谷区氷川神社を中心に発展してきた町だから地名にもその名がある。田毎町はかつての田子免の地名を好字に変えたものだというし、上智町も江戸時代の知行地没収を意味する上地に由来しているという。農地と武家屋敷が入り組んだ地域だったことがわかる。
志賀直哉の家(渋谷区東一の一二)は、常磐松町に属していた。これも由緒のある地名である。
国学院大学前の交差点から東へ二分ほど歩くと、渋谷区立白根記念郷土文化館がある。元区議の白根全忠氏(故人)が宅地・邸宅をそっくり区に寄贈して、昭和五十年に開館している。その郷土文化館の、道を挟んで真向かいにあたるマンションの前庭の植え込みに「常盤松の碑」がある。
この一帯、幕末に薩摩藩島津家の持地で、邸地内に樹齢四百年と伝えられる巨松があった。源義朝の妾で、あの九郎判官義経の母常盤御前が植えたという伝説から常盤松と呼ばれ、島津の家臣がこの碑を建てたのである。源平時代は十二世紀なので、樹齢四百年はちょっと計算があわないが、ともかく、町名の起源はこの常盤松にある。
大正十四年、区立常磐松小学校が誕生したとき、校長が「割れやすい皿ではなく、丈夫な石に」と主張して、同校は常磐松小学校と名づけられ、昭和三年、それまでの常盤松の町名も、常磐松に改められている。残念ながら巨松は戦災で焼失した。
(掲載号:11月16日号)
