週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

常光寺は福澤諭吉 最初の墓所

 上大崎一丁目の芝増上寺子院群の中の常光寺は、元和元年(一六一五)芝金杉に創建された。その後高輪北町に移り、明治四十三年、現在地にあった正福寺と合併して今に至っている。正福寺は寛文元年(一六六一)、麻布狸穴からこの地に移転してきたが、幕末に暴風で本堂などが破壊され、以来衰退していたという。

 高輪時代の常光寺は、『江戸名所図会』に「同所北町にあり。浄土宗にして芝増上寺に属す。開山を大誉上人と号す。本尊は金像の阿弥陀如来なり。(世に、信州善光寺分身の弥陀如来と称す)」と紹介されている。数ある増上寺の子院の中でも名門で、本尊は今に伝えられている。

 慶応義塾の創設者福澤諭吉は、まだ正福寺だったここの墓地に一旦葬られている。この辺りの風光が諭吉の気に入りで、自ら墓所に選んだといわれる。しかし昭和五十二年港区元麻布の善福寺に改葬された。

 今、常光寺境内には諭吉の最初の墓所であったことを記念する「福澤諭吉先生永眠の地」の石碑が建っている。改葬の翌年、慶応義塾が建てたもので、次のような碑文が刻まれている。

 「明治三十四年二月福澤諭吉先生永眠のとき此處に埋葬せらる 先生の生前自ら選定し置かれし墓地なり 昭和五十二年五月福澤家の意向により同家の菩提寺麻布山善福寺に改葬せらる よって最初の塋域を記念するため之を建つ」

 善福寺は麻布十番の近くにある浄土真宗の名刹で、安政六年(一八五九)、最初のアメリカ公使館が設置された所として知られている。また、親鸞上人が挿した杖から生長したといわれる推定樹齢七百年余の大イチョウもそびえている。根がせり上がって枝先が下に伸びているので「逆さイチョウ」の名があり、国の天然記念物である。

(掲載号:11月23日号)