週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
来迎院 お茶屋 供養塔群
光福寺などが沿道にあって古東海道と推定される細道を南へ道なりに行くと、池上通りと交差する少し広い道路に出る。この地点ですぐに目に入るのは、来迎院という天台宗の寺院である。
創建は平安時代中期の安和2年(969)と伝えられる歴史の古い寺で、一時荒廃したが、南北朝時代の貞和3年(1347)に再興された。『江戸名所図会』に、すぐ近くの鹿嶋神社の別当寺常林寺として記されている寺で、天保4年(1833)現名に改められた。
同書には、また「境内桜多く、春一奇観たり」ともある。「鹿嶋の要桜」「楊貴妃」などと名付けられた名木があったといわれ、同寺に限らず、鮫洲、大井付近の寺は、江戸時代どこも桜の名所だったようである。
しかし、来迎院は桜ばかりでなく、徳川三代将軍家光が鷹狩りのときに休憩所とした寺として名を馳せてもいた。
大井、大森付近の丘陵地帯は「品川筋」と呼ばれる将軍の鷹狩り場だった。なかでも、鷹狩りを好んだ家光はしばしば品川筋に出掛け、当時の常林寺には大井御殿といわれる休憩所が設けられた。
将軍がここでお茶を一服したわけで、茶を立てる水は境内の井戸水が使われたという。このため、同寺は「お茶屋寺」の異名もあった。
今、門前の道路の向かいに小さな3つの堂がある。「来迎院石造念仏供養塔」といわれる石の塔が収められている堂で、元々はここも同寺の境内だったが、道路拡張で寺外になってしまった。
それぞれに、地蔵菩薩や不動明王、青面金剛立像、あるいは「南無阿弥陀仏」と刻まれた供養塔、さらに庚申塔などが建っている。いずれも17世紀半ばから18世紀半ばの江戸時代に造られるものである。
(掲載号:04月22日号)
