週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
大井の総鎮守鹿嶋神社
大井の総鎮守鹿嶋神社は、鷹狩りの徳川将軍の休憩所になったという来迎院と背中合わせのようになって池上通りに面して鎮座している。創建は、当然別当寺だった来迎院と同じ平安時代中期の安和2年(969)と伝えられる。
『江戸名所図会』には「鹿島大明神社」とあって「常陸国鹿島の御神を遷し奉る」と記されている。昔、軍神として名を馳せた茨城県の鹿島神宮を勧請したお宮である。
威厳のある本殿は檜造りで、昭和6年に建てられた。さらに、この本殿右脇には覆屋がかぶされた旧本殿もある。
四尺(約1.2メートル)四方の旧本殿は文久2年(1862)の建造で、規模は小さい。しかし、四面に唐獅子の彫刻がほどこされているなど、ほぼ全体に精巧な彫刻がある見事な木造建築物である。現在の本殿建造の際に移築保存され、江戸時代の匠の技を今に伝えている。
樹齢150年以上の大木が多い境内には、この他にも江戸時代の石造物が少なくない。鳥居・狛犬・随神像などで、どれも味わいがある。特に天明7年(1787)に井村伊勢太々講の人たちが奉納した一対の随神像は、珍しい石像である。
石碑もある。江戸時代後期の俳人で大井村の名主だった大野景山の句碑には「爐の友にめぐり逢ひたるさくらかな」と刻まれている。「惠澤潤洽碑」というのは、明治の初めまでこの付近の農業用水路として利用された品川用水路を記念したものである。
境内では、昭和の初めまで9月の祭りのときに奉納相撲が行われた。大井村の人々による素人相撲で、祭りの名物だった。また現在の神社の地は大井6丁目だが、昭和39年までこの辺りの町名は大井鹿島町だった。同神社に由来するものだったことは言うまでもない。
(掲載号:04月29日号)
