週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
車窓から発見した大森貝塚
「横浜に上陸した数日後、初めて東京へ行った時、線路の切割に貝殻の堆積があるのを通行中の汽車の窓から見て、私は即座にこれを本当の Kjoekkenlmoeddingu (貝墟)であったと知った。」
明治10年(1877)、日本最初の官立大学東京大学が教鞭を執るためアメリカから来日した動物学者のエドワード・シルヴェスター・モース博士は、横浜から東京に向かう車中で大森貝塚を発見した。
最初の一文は、博士が晩年日本での体験を綴った『日本その日その日』(東洋文庫、石川欣一訳)の中の記述である。母国での経験を生かして博士は9月、早速発掘調査を行い、多数の貝殻と共に土器、石器類などを採集、そこが縄文時代後期から晩期の貝塚であることを確認した。
これは日本で初めての学術調査であり、日本の考古学発達のきっかけにもなった。調査の成果は、2年後『大森介墟古物編』として出版された。
しかし現在、モース博士の発掘地点が正確にどこであったか不明である。このため品川区と大田区にそれぞれ記念の石碑があり、碑の付近が共に国指定史跡となっている。
一つは、鹿嶋神社前の池上通りをJR大森駅方面へ向かう途中にある大井6丁目の品川区立大森貝塚遺跡跡庭園である。園内の碑には、「大森貝塚」と刻まれている。
同区ではこの庭園を建設するにあたり、昭和59年と平成5年に2度の発掘調査を行って貝層の存在を確認している。園内には、貝層標本のブース、モース博士の胸像、出土土器の模型などもある。
もう一つは、さらに大森駅寄りの線路際に建っている「大森貝墟」の碑である。日本文化にも精進した博士は、1925年マサチューセッツ州セーラムで87歳の天寿を終えた。
(掲載号:05月27日号)
