週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

大森の二つの貝塚碑

 アメリカの動物学者モーリス博士が発見した大森貝塚の2つの記念石碑について、もう少し考察してみよう。

 品川区大井6丁目の大森貝塚跡庭園内の碑は、東南端のJR京浜東北線線路際にある。横長で、右から「大森貝塚」と刻まれ、昭和4年5月26日起工、本山彦一書ともある。本山は当時の大毎、現在の毎日新聞社長で、碑の下部にも発起人としての名前が刻まれている。

 もう1つは、大田区山王1丁目のNTTデータ大森山王ビル裏の、やはり線路際に建つ「大森貝墟」の碑である。こちらは、縦長、モースの門弟理学博士佐々木忠次郎の書で昭和5年4月に建てられた。

 所在地の区は違っているが2つの碑の間はせいぜい2、300メートルにすぎない。別に"本家"争いがあるわけではなく、JR大森駅北方の線路西側一帯が発掘現場といってよいのかもしれない。

 ただ、博士の『日本その日その日』(石川欣一訳、東洋文庫)に載っている石川千代松の「−序モース先生」に次のようなくだりがある。千代松は訳者の父で、佐々木同様モース門下である。「先生が発見された大森の貝塚は先生の此書にもある通り鉄道線路に沿うた処にあったので、其後其処に記念の棒杭が建って居たが、今は夫れも無くなった。大毎本山君が夫れを遺憾に思われた大山公爵と相談して、今度立派な記念碑が建つ事になった」

 これは、明らかに庭園のほうの碑のことと思われる。ところが、大田区の碑の下部に刻んである発起人の中に石川千代松の名前がある。また、庭園の碑には賛成人として石川の他佐々木忠次郎の名前も刻まれている。

 発掘から半世紀の昭和初期には、既に正確な場所は特定できなかったというのが正解のようである。

(掲載号:06月03日号)