週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

芝居の名場面鈴ケ森

 「お若えの、お待ちなせえやし」 「待てとおとどめなされしは抽者がことでござるかな」 舞台後ろは、夜景を表す一面の黒幕。真ん中より少し上手に 「南無妙法蓮華経」 と彫られた大きな題目塚が建っている。そこで大勢のならず者相手に大立ち回りを演じていた若衆の白井権八を、駕籠で通りかかった幡随院長兵衛が呼び止める。

 四代目鶴屋南北作の歌舞伎 『鈴ケ森』 の有名な場面である。鈴ケ森は、言うまでもなく小塚原と並ぶ江戸の処刑場で、その書体から髭題目と言われる高さ三メートル余の題目塚は鈴ケ森の象徴的存在だった。

今、旧東海道が第一京浜国道と合流する地点にある文久2年(1862)開山の鈴森山大経寺の境内は、その鈴ケ森刑場だった。ここには裏面に元禄11年(1698)の年号が記されている題目塚を始め、火あぶりや、はりつけの刑に使われた石などが残っている。

 刑場は、慶安4年(1651)東海道に面して設置された。元禄8年に行われた検地では、間口四十間(約74メートル)奥行き九間(16、2メートル)お規模だった。

 権八と駕籠かきのやりとりに 「あたりは浜辺のようじゃな」 「さようでござりまする。昼間見ると、安房上総が一目で見えます」 とあるように、昔は江戸湾に臨む佳景の地でもあった。

 鈴ケ森の露と消えた芝居や講談でおなじみの人物としては丸橋忠弥、天一坊、八百屋お七らがいる。 『鈴ケ森』 の白井権八、実説の平井権八も殺人や追いはぎの罪で延宝七年(1679)25歳のとき、ここで処刑された。一方、幡随院長兵衛は慶安3年(1650)に亡くなったと伝えられている。権八との出会いは、全くのお芝居にほかならない。

(掲載号:06月17日号)