週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
田山花袋 武蔵野の自然と人
自然主義文学の旗手として活躍した田山花袋に 『東京の近郊』 (大正5年・実業之日本社)という旅のガイドブックがある。有名な『東京の30年』は自伝を交えながら東京の変遷を精細に記録したものだが、こちらは旅行好きの花袋が実地の踏査と独特の観察眼を生かして編んだ紀行文である。花袋は、新しい『江戸名所図会』を意識していたようだが、関東大震災前の東京を彷彿とさせる作品である。
「私の今住んでゐる処は、江戸名所図会に代々木野、代々木村などとしてあるところである。(中略) 私の来た時分は、それ (代々木駅) は小さなあはれな停車場で、冬は木枯の風が寒く吹いて、朝の霜が白く芽茸の百姓家の屋根に置いてゐたのに・・・」
花袋は、こう書きはじめながら、武蔵野の魅力を風情のある京都の郊外よりもすぐれていると礼賛する。東京市内で転居を重ねていた花袋が代々木133番地 (現・渋谷区代々木3ー9ー5) に移ったのは明治39年12月で、明治5年に他界するまで動いていない。また、山手線に代々木駅が開設されたのも同年10月のことだった。武蔵野の雑木林の魅力を強調したのは、明治29年に渋谷 (現在の渋谷公会堂西方) へ転居してきた国木田独歩だが、画家の菱田春草は明治末期の森閑とした 『落葉』 の風景を描き、岸田劉生は大正初年の旺盛な開発ぶりを 『切通之写生』 に残している。
独歩の住まいを訪ねた花袋は、 『東京の30年』 などの作品に当時の渋谷、代々木の姿を活きいきと描写し、さらに武蔵野の変遷を哀惜の情をこめながら書き続けた。
いま閑静な住宅街となっている花袋の旧居跡には渋谷区教委がつくった 「田山花袋終えんの地」 の木標が立ち、北方に新宿の高層ビル群を望むことができる。
(掲載号:06月24日号)
