週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

幡ヶ谷の名は 旗洗いの池で 生まれた

 『千載和歌集』 は後白河法皇の命で藤原俊成が撰んだ歌集である。源平争乱直後のころだった。源氏の軍勢が都に攻め上り、都落ちを余儀なくされた平家一族の薩摩守忠度が俊成に一首を託した裏話は有名である。

 さゞ波や志賀の都は荒れにしをむかしながらの山ざくらかな

俊成はこれを 「読人知らず」 として撰んだ。粋なはからいである。一方で、源氏の棟梁と仰がれた八幡太郎義家の歌もちゃんと入撰している。

 吹く風なこその関と思へども道もせに散る山ざくらかな

 陸奥の歌枕として知られる勿来の関 (福島県いわき市) で詠んだ歌で、その名も <吹いて来るな> という関なのに無情の風が吹き、道も狭いほどに花が散る、となかなか技巧的な一首である。と同時に、撰者の俊成のバランス感覚もみごとと言いたくなる。

 源義家は、前9年の役 (1051ー62) と後3年の役 (1083ー87) の2度にわたって奥羽に遠征した。だから、関東各地に義家ゆかりの地が少なくない。

 京王新線初台駅と幡ヶ谷駅のあいだに 「旗洗いの池」 という伝説の地がある。今は高知新聞社員寮 「洗旗荘」 (渋谷区本町1ー9ー17) があり、社員寮の前には植え込みが作られ、東郷兵八郎揮亳の 「洗旗池」 の記念碑が残っている。渋谷区教委の案内板にはこんな説明がある。

 <池は60平方メートル程の小さな池で、肥前唐津藩小笠原家の邸宅内にあり、神田川に注ぐ自然の湧水でした。昭和38年 (1963) に埋められ、今は明治39年 (1906) 4月、ここに遊んだ東郷平八郎筆の記念碑だけが・・・・>

 伝説では、ここで義家軍が源氏の白旗を洗い清めたといわれ、幡ヶ谷の地名もそこから出たという。

(掲載号:07月29日号)