週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

万葉集に ゆかりの 笠島弁天

 鈴ヶ森の地名の起源と言われる鈴ヶ森八幡、現磐井神社は鈴ヶ森刑場跡よりかなり南に離れている。ということは、鈴ヶ森を称する地は、神社を中心としてかなり広い範囲にわたっていたと言える。刑場はむしろ、その北端に当たっていたのだろう。

 いずれにしろ、昔は江戸湾に臨む佳景の地だった。埋め立てが進んで海は遠くなり、神社前の車の往来が激しい第一京浜国道が走る現地の姿からは想像もつかない、夢のような海辺の光景だった。

 この磐井神社には、東海七福神の弁天さまが祀られている。笠島弁財天で、 『江戸名所図会』 にも 「笠島」 として紹介されている。 「鈴森の地をいへり。八幡宮の境内左の方に、笠島神社と称するものあれど定かならず。

 『図会』 はこの後、六つの祭神を挙げているが、その中に弁天さまはいない。ともあれ、こちらも歴史の古いお宮であり、同書は 『万葉集』 の次の歌も紹介している。

 草陰之荒藺之崎乃笠島乎見乍可君之山道
(将越草陰の荒藺の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ)

 この中の笠島が八幡宮境内の笠島神社、現笠島弁天ではないかというわけである。荒藺という地名も、昭和39年まで同音の新井宿という町名が近くにあった。さらに古代の東海道が台地上を通っていたことを考えると、 『図会』 の見解をむげに斥けることはできないだろう。

 また、同書は八幡宮社前に 「磯馴松」 があるとも伝えている。 「鈴森の社前、海道より左の方海浜、人家の前にあり。当社の神木と称す」

 挿絵にも、道の端から海に枝を張り出した見事な枝振りの松が描かれている昔の鈴ヶ森は、いずれにしろ海とは切っても切れない縁にあった。

(掲載号:08月05日号)