週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

笹塚に 面影残す 玉川上水

 京王線の笹塚駅 (渋谷区笹塚) 南口を出て徒歩約2分のところに、江戸時代の玉川上水旧水路が開皮C里泙淙歛犬気譴討い襦」

 にぎやかな駅前商店街のすぐ裏手に、幅5メートルほどの掘割があり、澄んだ水の面をシオカラやアカネなどのトンボが飛んでいた。堤に 「汚さないでください東京都水道局」 の看板が立てられている。 「第3号橋」 のたもとに次のような区教委の案内板があった。

 <玉川上水は、松平信綱を総奉行、伊奈半十郎を水道奉行とし、承応2年 (1653) に庄右衛門、清右衛門兄弟の手によって着工されました。この工事は、多摩川の羽村に取水口を設け、そこから実に43キロメートル先の四谷大木戸まで掘割をつくって上水を引くという大工事でした。上水は同年11月に四谷大木戸まで、また翌年6月には江戸市内までそれぞれ完成し、通水しました。

 庄右衛門、清右衛門兄弟には、その功績に対して玉川の姓と帯刀が許されたという。その出身や経歴ははっきりしないが、これが17世紀に行われた世界有数の土木工事であることは間違いない。

 羽村の取水口は第1水門付近で標高123メートル、四谷大木戸 (新宿区) は標高33メートル。延々43キロを平均千分の2の勾配で通水している。水路はマラソン競技の距離を、ゆっくりと確実に流れた。この笹塚周辺は窪地が多く、それを避けるため水路が複雑に蛇行しているのも興味深い。

 一方、笹塚駅北口から甲州街道に出ると、代々木警察笹塚交番の隣に 「笹塚跡」 の案内板が立っている。昔、このあたりに笹の生い茂る塚があったというのである。四谷大木戸からほぼ一里 (4キロ) にあたるので一里塚だという説もあるが、確証はない。塚は消えたが、地名にしっかりと残っている。

(掲載号:09月02日号)