週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

「影を慕いて」 古賀政男と 代々木上原

 昭和2年夏、23歳の明治大学商学部2年生、古賀政男は、宮城県青根温泉で失恋を苦にして自殺を図った。

 古賀は福岡県の瀬戸物行商人の子に生まれ、貧しい生活のなかで明治大学に学んでいた。マンドリンが得意で、大正末年には明大にマンドリン・クラブを創設し、学資かせぎにマンドリンやギターを教えるアルバイトをしていた。恋の相手はその生徒の1人だったが、年上で生活程度も高い女性だったため、古賀の方から結婚を断念したという。

 古賀は 『自傳わが心の歌』 に書いている。 <私は未練きわまりない男であった。一と思いに剃刀を走らせることもできないのだった。死ぬことさえできないではないか。私は谷底で慟哭した>

 そして、この苦悶の後に1つの詩が出てきた、と続けている。それがあの 「影を慕いて」 、まぼろしの影を慕いて・・・・・・だったという。

 死ぬ思いのなかから生まれた詩にくらべて、作曲は一気呵成だったらしい。 <秋の夕暮れのことであった。キセルなおしの 『ラオ屋』 が屋台を引き、物悲しい笛の音を流して通っていった。その音をそのままギターの音におきかえて、あのメロディーができあがった> と追想している。

 時代は不況に打ちひしがれた昭和初年のこと。 「影に慕いて」 「酒は涙か溜息か」 「丘を越えて」 など古賀メロディーのヒットが続いた。

 古賀は大正12年春、初めて上京した際に千駄ヶ谷 (渋谷区) の従兄弟の家に落ち着いた。その後、代々木上原に親しみを持ち、ここに 「音楽村」 をつくろうと考え、昭和13年に家を建てて住んだ。平成9年5月、旧宅跡に古賀政男音楽博物館 (渋谷区上原3−6−12) が完成。懐かしい日本歌謡史の世界が公開されている。

(掲載号:09月16日号)