週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
旧町名は 初代首相の 墓地に由来
日本では、昔、土地の名を姓とする例が少なくなかった。源氏一族の足利、新田などもそうだし、江戸には江戸を名乗る豪族がいた。その名残は今もあって、親類同士や親しい者同士の間では、姓や名前の代りにその人の住んでいる地名で名前を呼ぶことがある。
ところが、逆に、墓地に眠っている有名人の姓を町名にしてしまった例も戦前にあった。大井伊藤町がそれで、昭和7年、品川町・大井町・大崎町が合併して旧品川区ができたとき、同時に誕生した。
伊藤とは明治の元勲、伊藤博文のことである。天保12年 (1841) 長州藩の下級武士の子に生まれた彼は吉田松陰に師事、初めは攘夷論者だったが、イギリスに留学して開国、富国強兵を推進するようになった。
維新後は新政府の要職を務め、大日本帝国憲法の制定や内閣制度成立など近代日本の政治体制の基礎を築いた。明治18年 (1885) 初代の内閣総理大臣に就任したのを始めに内閣を4度組閣し、さらにそれぞれ初代の枢密院議長や貴族院議長も歴任した。
同42年、ロシア蔵相と会談のため旧満州 (現中国東北部) のハルビンにおもむいたとき、朝鮮の独立運動家・安重根に暗殺された。伊藤は直前まで韓国統監を務めてもいた。
彼の自宅は墓地の近く。現在の大井3丁目にあり、墓地は生前の彼がよく散歩に訪れた場所だったという。大井伊藤町は昭和39年、西大井と町名変更されたが、墓地はJR横須賀線の西大井駅に近い西大井6−10−18 の元の地にある。
墓域は都営住宅の建設などで戦前より狭くなったそうだが、石の鳥居が建つ神式の墓地は厳かな雰囲気を漂わせている。正面が博文、右隣の一回り小さい円墳は梅子夫人の墓である。
(掲載号:09月23日号)
