週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

異人が 記した 品川筋

 東海道の宿場であり、地続きに刑場の鈴ヶ森がある品川は、異人さんにとって特別興味を引く場所だったようである。鈴ヶ森については、先に幕末のスイス領事ルドルフ・リンダウの生地を紹介したが、それより以前在日した外国人の見聞を見てみよう。

 ドイツの外科医で博物学者のエンゲルベルト・ケンペルは元禄3年(1690)オランダ船舶医として来日し、2年の滞在中に長崎から江戸への旅を2度も行っている。元禄4、5年のことで、彼の 『江戸参府旅行日記』 (東洋文庫、斉藤 信訳) には、かなり詳しく品川周辺の様子が書かれている。

 「品川の手前には刑場があって、通り過ぎる旅行者はそれを目にしてむかつくような気持ちになる」

 鈴ヶ森刑場のことで、処刑者の状態、犬や鳥が群がっている有り様を記している。続いて宿場品川の描写となる。

 「この町は大部分は密集した家の立並ぶ曲がりくねった町筋から成り、右手には海があり、左手には寺院の見え隠れする長い丘があり、それゆえ、丘へ登る幾筋かの短い横町がある。これらの寺院はかなり大きく、良い場所にある。寺の中には金張りの仏像、外には彫刻した大きな仏像があり、高い門と石造りの階段が通じていた」

 これらの記述の前に、彼は鈴ヶ森海岸で海苔作りを見学し、その製法まで書いている。博物学者として興味を持ったのだろう。

 鈴ヶ森八幡・現磐井神社にあって鈴ヶ森の地名の起こりになった鈴石にも触れている。それは 「黒いすべすべした野石」 で 「異教の伝説を証明するために、信心深い巡礼者に見えるように置いてあった」 と書いている。

 今非公開の鈴石も、当時は社殿の中央に飾られていたことが分かる。

(掲載号:10月21日号)