週刊誌コラム

週刊新潮「タワークレーン」

飯盛旅籠屋に 関心示す シーボルト

 文政11年 (1828) 当時国禁だった日本の地図が、長崎出島のオランダ商館医員フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト帰国の荷物の中に発見された。いわゆるシーボルト事件だが、彼はそれより2年前の春から夏にかけて長崎−江戸の往復旅行を挙行している。

 その 『江戸参府紀行』 (東洋文庫、斎藤信訳、同書ではジーボルト) にも、品川が出てくる。前号で紹介したケンベルの参府旅行から130年余り後の宿場の様子が、特に往路で細かく書かれている。 「品川の村に沿って街道の両側に娼家がある。玄関の間の少し高くなった場所に美しい女たちが国の風習に従い仰々しく着飾ってすわっている」 この後、男がお目当ての女を選ぶ方法まで記し、 「こういう紳士」 が外へ出てきたのを目撃して、こんな感想を述べている。

 「一般にこうした施設は日本では料理屋と同様、生活に必要なものとみなされているようである。白昼、娼家から出てくるのは、われわれの国でいえばコーヒー店から出てくるのと同様でほとんど問題にならない」

 江戸時代の光景とはいえ、日本人としては読んでいて顔が赤らむような記述である。帰りの旅では、品川で薩摩藩主を隠居した島津重豪から接待を受けている。だが、 「品川では82歳になった薩摩の老侯がわれわれをもてなして下さった。侯はまだまだ強壮快活で話好きな方であった」 と書いてあるだけで、接待の場所や中身には触れていない。

 往路のほうにはなかった鈴ヶ森も 「そこには国の刑場があって、数日前にひとりの放火犯が火炙りの刑に処せられた」 との一言ですませている。シーボルトにとっては、旅籠屋の存在が余程印象的だったのだろう。

(掲載号:10月28日号)