週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
秩父宮妃を 送り出した お屋敷
東京・渋谷の東急Bunkamuraのすぐ北側に、松濤のお屋敷町が続いている。そのなかに東京都知事公館 (渋谷区松濤1ー7ー25) がある。
ここには、かつて松平恒雄の邸宅があった。恒雄は幕末の会津藩主松平容保の四男に生まれ、駐米、駐英大使などを歴任、宮内大臣や戦後すぐの参議院議長を務めている。秩父宮妃勢津子殿下はその長女である。 『宮さまと私の昭和史』 という勢津子妃の文章が昭和48年の雑誌 『文芸春秋』 に掲載されている。
<父 (故松平恒雄。当時駐米大使) とともにアメリカにいた私が、ワシントンに宮さまをお迎えしたときのことは忘れられません。宮さまはそれまでイギリスで、オクスフォードのモードリンというカレッジに遊学あそばしていたのですが、大正天皇がご重態だというので俄かにご婦朝のことになり、その途中ワシントンの大使館にご一泊あそばしたのです>
大正15年に勢津子妃はまだ17歳で、宮さまの居間におやつのお汁粉などを妹 (正子。のちの尾張徳川家、義知夫人) とお運びしただけだったという。秩父宮との結婚は昭和3年である。
松平家では海外生活が長く娘を宮家に送りだす邸宅が東京になかったため、急遽新築にかかった。松平恒雄夫人の信子が旧佐賀藩主鍋島家の出身だったので、松濤の鍋島家の土地の一部を譲り受け、木造2階建ての新邸ができた。幸い戦火を免れたため、戦後の一時期にはここに松平一家のほか、焼け出された緑戚の会津松平家、鍋島家、柳沢家が同居していたという。
昭和22年、松平恒雄が財産税納入のため都に売却したあと都知事公邸となり、平成7年、現在の公館に建て替えられた。
(掲載号:11月04日号)
