週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
モダンな街に 江戸の風 大山稲荷
作家の三島由紀夫は、昭和12年4月から25年7月まで渋谷区大山町 (現松濤2ー4ー8) に住んでいる。四谷生まれで、学習院初等科時代は信濃町に住み、中等科に進にあたって渋谷に転居した。三島はここで早熟な創作活動をスタートさせ、昭和24年の 『仮面の告白』 で新進作家の声名を確立した。24歳のときである。
三島の旧宅近くには区立鍋島松濤公園がある。このあたり一帯は旧鍋島邸の邸地の一部で、明治の茶園が分譲住宅地に転用された。幼・少年期を渋谷で暮らした大岡昇平は自伝 『少年』 に大正の松濤をこんな風に書いている。
<鍋島侯爵家は代々園芸趣味を持っていて、邸内に私設の園芸研究所を設けて品種改良を研究した。もとの茶畑はその頃は麦畑になっていたが、後に東京の冨裕階級や縁故の者に分譲したのが松濤分譲地である。鍋島邸自体は台地中央に広い敷地を高いヒノキの生垣でかこんであった。 (ほぼ現在の松濤中学の位置である) >
松濤の地名は鍋島家の銘茶園に因むもので、昭和3年に誕生し、昭和38年の新住居表示では旧大山町など周囲をあわせて町域が広がっている。その文化的でハイカラな住宅街の雰囲気は今も生きていて、昭和47年に新宿区大曲から引っ越してきた観世能楽堂、白井晟一設計の重厚でしゃれた区立松濤美術館、陶磁器の逸品を紹介する戸栗美術館などがある。
都知事公館から観世能楽堂に向かう道の右側に、大山稲荷神社がある。その石の鳥居に 「九皋之鶴十朋之亀」 (奥深い沢に鳴く鶴も高貴な亀もいずれ世に知られる) の句と寛政6年 (1794) の年号が読める。大山は台地状の地形から出た地名のようだが、ひっそりと江戸の空気を伝える一画である。
(掲載号:11月11日号)
