週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
代官山 猿楽塚 古代住居
渋谷駅から東急東横線に乗って次の駅が代官山。盛り場渋谷の後背地だったが、いまではハイセンスのアパレルや雑貨の店、おしゃれなレストランなどが立ち並ぶファッショナブルな街に変貌した。
代官山という古風な名は、江戸時代に代官所が管理する山林だったからだという。そう言えば、猿楽、鉢山など隣接する町の名もいわくありげである。
鉢山の名は神泉と似ていて、法道仙人の鉢が飛んできた山という神仙譚が地名の由来になっている。猿楽町は都心の千代田区にもあって、江戸初期に能楽師観世大夫の屋敷があったことに因む。しかし、渋谷区の猿楽町の方ははっきりしない。ただ 『江戸名所図会』 にも渋谷の 「去我苦塚」 が紹介されているから、古くからの地名とわかる。 「去我苦」 については <時としてこの塚の辺にて酒宴を催し、歓楽せしにより、苦を去るの所謂れなり> と半信半疑で解説している。
『江戸名所図会』 のなかで興味深いのは次の一節である。青山から渋谷、目黒にかけての道筋の所々に塚があると述べ、 <この辺、すべて古へ、居館仏堂の類ありし地にや。近頃道路を作らんとして、岨を掘穿ちて、土中布目の紋理ある古瓦数枚を得たりといふ>
江戸時代にも道路工事があり、縄文や弥生の土器に好奇の目を向けていた。
猿楽塚古墳 (猿楽町29) は6〜7世紀の築造とされ、槙文彦設計の瀟洒な複合施設 「ヒルサイドテラス」 の敷地内に保存されている。
昭和52年に渋谷区が付近の公園建設予定地を発掘調査すると約2千年前の弥生時代の住居跡が出現した。区立猿楽古代住居跡公園 (猿楽町12) で、渋谷川と目黒川が麓を流れる高爽の台地は古代人にとっても絶好の住宅地だったのである。
(掲載号:12月09日号)
