週刊誌コラム
週刊新潮「タワークレーン」
煙草大王 岩谷松平 の天狗坂
森銑三著 『明治東京逸聞史』 の明治32年の頃に、 「岩谷天狗」 が紹介されている。 <岩谷天狗が一頁大の広告を出して、 「東洋煙草王、勿驚 税金百万円、慈善職工5万人、天狗煙草」 としている。
その露骨な宣伝広告が、人々の反感を買ったけれども、とにかく岩谷の天狗煙草というものが、官営になる前のわが国の煙草界を押さえていたのは事実だった。岩谷松平は自分の時代を作った>
岩谷松平は鹿児島の生まれで、明治10年東京に出てくると、奇抜なアイデアで煙草王の名を恣にした。店は銀座3丁目の、いまの松屋デパート付近にあった。永井龍男の小説に 『けむりよ煙』 がある。
<銀座3丁目の 「岩谷天狗」 は煙草屋には違いないが、間口は30間、奥行きはそこから30間堀の河岸まであった。2階建てで、向かって左が鹿児島名産の絣や鰹節を売る店、真ン中が事務所兼営業所、右端の一角には 「世界煙草婦人販売店」 と横書きの大看板が入口の上一杯にかかげられてある通り、美人を選んで店番をさせた小売り部、裏手は煙草の倉庫その他になっている>
2階建ての建物が総赤塗りで、その正面に鼻の高い天狗の面を赤、金、銀、青など色とりどりにずらりと並べてみせた。岩谷自身も赤い洋服で赤い馬車に乗りこんで話題をまいた。
いま、銀座にその面影はないが、渋谷公園通りの「たばこと塩の博物館」(渋谷区神南1丁目)には、黒地に金文字で「天狗煙草」と書いた派手な看板や当時一世を風靡した天狗煙草が展示されている。
明治37年に煙草が専売になると、岩谷はあっさり渋谷の自邸に引っ込んで、養豚業を始めた。渋谷区猿楽町2番地と3番地の間の小さな急坂に「天狗坂」の名がある。ここに岩谷松平の邸宅があったからである。
(掲載号:12月23日号)
