週刊誌コラム

週刊文春「立ち話」

江戸に水を引く・玉川兄弟(1)

 玉川兄弟という人物をご存知だろうか。

 玉川上水の開削功労者ととして知られる兄弟の名は、庄右衛門(しょうえもん)清右衛門(せいえもん)。元は町人、多摩川近在の百姓などの説もあるが、その素性や生年は定かでない。

 玉川上水とは、今から三五〇年余り前、多摩川の水を江戸の町に引き入れるために創られた水路である。

 その頃、江戸の町にとって最大の悩みは水不足だった。徳川家康が江戸に入って五〇年も経つと、人口一五〇万人を超す世界一のまちに膨れ上がっていた。参勤交代という幕府による締め付けも人口増加に拍車をかけた。地方に二〇〇人余りいる大名とその家来が一年おきにやってくる大名の妻子は江戸屋敷に住まなくてはならない。神田上水の水だけではとても足りなくなっていた。そこで多摩川の水を江戸に引く計画に玉川兄弟が願い出たのだ。

 JR羽村駅から西へ歩いておよそ一〇分。多摩川上流の羽村堰(はむらせき)、その上の広場に兄弟の銅像がある。測量用の綱を手に立っているのが兄の庄右衛門だという。昭和三十三年、羽村水源愛護会・玉川兄弟銅像建設委員会によって建てられた。

 この羽村堰が、玉川上水の起点である。兄弟は承応二年(一六五三)から、多摩川上流で川を堰き止め、水を導く取入口をつくり、ここから武蔵野台地に溝を掘って約四三キロメートル、四谷までの水路を開いたと想像される。

 現在はコンクリートだが、当時の堰は、竹や石でつくられ、銅像の近く、取水所があった場所に、上水を管理する陣屋門が残っている羽村堰は、現役の水道施設として機能し、いまも東京都民に飲料水の一部を供給しているのである。

(掲載号:12月25日号)