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週刊誌コラム

週刊文春「立ち話」

コンドル先生との出会い[日本近代建築の父・辰野金吾(2)]

 東京駅が、さまざまな出会いや別れを演出し、多くの人々にとって思い出の舞台となったように、人生における出会いは、その後の生き方に大きな影響を与える場合が多い。

 辰野金吾にとって、同輩、曾禰達蔵、高橋是清と並んで大きな出会いは、二三歳の時に訪れた。西南戦争が勃発した明治十年、工部寮は工部大学校と改称され、造家学科(後の東京大学工学部建築学科)に、一人の英国人教授ジョサイア・コンドルが招聘された。その一期生の中には、曾禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎、そして辰野金吾がいた。いずれもその後、明治という新しい時代の建築界を幕開けた人々である。

 コンドル先生の最初の講義は「建築とは何か」。建築という言葉にさえ馴染みのなかった辰野にとって、「建築は技術だけでなく芸術である」という教えは新鮮以上の驚きをもたらした。

 さらにコンドルは、日本建築界の指導者に、優秀な曾禰達蔵や片山東熊ではなく、日夜努力を重ねてきた辰野を選んだ。不器用ながらも一途な一生懸命さこそ、明治の黎明期そのものと重ねたのかもしれない。 補欠入学から主席卒業した辰野には、イギリスへの官費留学が待っていた。土木、化学など各分野の主席卒業生を中心とした十一名のパイオニアたちが、日本人自立という国家の期待を双肩に旅立ったのである。

 ロンドン大学で学び、建築事務所などで実務を習得した辰野が帰朝したのは明治十六年。コンドル先生の後を継いで工部大学校教授になったこの時、お雇い外国人から最初の日本人建築家へバトンが渡されたのだった。

(掲載号:01月13日号)