週刊誌コラム
週刊朝日「大いに成るほど〜近代化遺産編」
大阪倶楽部 : 大阪府大阪市中央区
大正から昭和初期にかけての大阪は元気であった。東洋のマンチェスターと呼ばれ、当時、最大の輸出品であった綿織物に関連する産業が勃興していた。また、現在の総合商社のように大阪の商社が広く海外で活躍していた。
こんな、古き良き時代の大阪が船場や中之島に残るが、大阪市の市街地の一隅に大阪倶楽部がある。創立は古く、大正元年。この大阪財界人によって創立された社交クラブである。初代の建物は、大正11年に火災で焼け、その後再建されたのが今の大阪倶楽部の建物だ。
設計は当時、大阪の片岡建築事務所に属していた安井武雄。彼は明治43年に東京帝国大学を卒業した建築家で、卒業後すぐ南満州鉄道に就職した。大連などにいくつかの作品を残した後、大正8年帰国し、片岡建築事務所に就職したのだった。
大阪倶楽部は、片岡事務所での最後の作品。この後、安井は自分の事務所を開いた。デザインは「南欧風の様式に東洋風の手法を加味した」とされる。インドのストーパを元にしたのだろうか、正面には上部に彫刻の施された4本の柱が並ぶ。屋上に近い4階テラス両端には壺の装飾、側面にはスペインバロック風の飾りバルコニー、いずれも東洋の香りが色濃く立ちこめている。
大阪倶楽部自体は、初代建築の焼失、戦争末期の海軍の徴用、戦後の進駐軍の接収と何度もこの建物を出た。他所に倶楽部を移したのだが、それでも最後にはこの建物に戻り、今日まで営々と活動を続けている。
(掲載号:2009年03月20日号)
