週刊誌コラム

週刊朝日「大いに成るほど〜近代化遺産編」

大河津分水 : 新潟県西蒲原郡分水町・寺泊町

立春を過ぎたとは言え、越後の春はまだまだ浅い。越後の春に良寛禅師を思い浮かべる。宝暦8(1758)年に出雲崎に生まれ、修行のため離れるが、39歳に戻り、以後74歳で没するまで、この町で過ごした。今ごろの季節、良寛はどんな風に子供と遊んでいたのだろうか。町には「良寛記念館」があり、建物の設計は芸術院会員で高名な建築家故谷口吉郎。

 この出雲崎から少し北に大河津分水が流れる。信濃川は新潟平野に豊かな実りをもたらす一方で、かつては頻繁に洪水を起こした。信濃川の流れを途中から分けて日本海に注ぐよう水の道をコントロールできれば、水害はなくなる。理屈は簡単なのだが、一歩間違えば、平野部に水が来なくなってしまう可能性もあり、望まれながらも殆ど実現は不可能だった。

 本格的な分水工事が始まったのは、明治29・31年の間に猛威を振るった洪水の後、明治42年からだった。工事は近代的な土木技術を使い、膨大な土砂を掘り取り、水量をコントロールするための自在堰が建設された工事は大正11年に完成。しかし、川の流れによって自在堰の橋脚部分の川床が削り取られ昭和2年に破壊。この年から、大河への再挑戦が始まったのである。

 工事は最新の技術を使い4年の歳月をかけて完成。信濃川の土木技術者達の命をかけた再挑戦だった。リターンマッチは見事に成功、大河津分水は水害を防ぎ、今も新潟平野を潤している。

(掲載号:2003年02月14日号)